障害者の安楽死施設・ハダマー精神科病院の内部に潜入

ヨーロッパの遺跡

はじめに

1940年代、ナチスがヨーロッパ各地に強制収用所を建設し、ユダヤ人を大虐殺したことはよく知られています。しかし、その数年前に同じ手法で精神障害者や知的障害者を大虐殺したことはあまり知られていないのではないでしょうか。

今年5月、ドイツ中西部の町・ハダマールにある障害者安楽死施設・ハダマー精神科病院(現・ハダマー記念館)を訪れました。今回はこちらをご紹介します。

ポスター(1936)「あなたも負担を負っているのです」(ハダマー記念館パネル展示)

優生思想と敗戦による財政難

第一次世界大戦敗戦から2年後の1920年、法学者のカール・ビンディンクと精神科医のアルフレート・ホッヘは、共著『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』を出版しました。この中でホッヘは「生きる意志も死ぬ意志もない重度精神障害者や知的障害者“精神的死者”を生かす必要はない」「生きていることで家族や国家の重荷になる」と主張しています。1920年代、このような考えを持つ人は少数派でしたが、1930年代になると、このような考え(優生思想)が広く支持されるようになりました。そんな中1933年、アドルフ・ヒトラー率いるナチ党が政権を握ります。

アルフレート・ホッヘ(ハダマー記念館パネル展示)

断種法−大虐殺前夜

1933年、「遺伝病の子孫を予防する法律」通称“断種法”が制定されました。当時、遺伝病と考えられていた知的障害、統合失調症、双極性障害、てんかん、ハンチントン病、視覚障害、聴覚障害、奇形症候群などの患者は、去勢手術を受けることが義務化されました。この当時、劣悪な遺伝子を排除することで、民族の血を守ることができると考えられていたからです。

ハダマー記念館パネル展示

T4作戦−最終的医学措置

1939年、障害者の安楽死プログラム・通称“T4作戦”が始まりました。作戦名“T4”は、管理局の所在地「ティアガルテン通り4番地」を意味しています。

このプログラムの対象となったのは、精神病患者(統合失調症、双極性障害、適応障害、てんかん、パーキンソン病など)、知的障害者、脳性麻痺患者でした。生きる価値があるか否かの判断基準は「治癒の見込みがあるか否か」と「働くことができるか否か」でした。医師によって「生きる価値なし」と判断された障害者は、ドイツ各地の安楽死施設へと移送されました。

当時、安楽死施設は全部で6箇所ありましたが、その中で保存状態が良好、かつ一般公開しているのが、今回ご紹介するハダマー精神科病院です。

死への道−ガス室・解剖室・火葬施設

障害者を乗せたバス・通称“灰色バス”は、病院の裏庭に入っていき、駐車場に停車します。彼らは、病院一階のレセプションホールで服を脱ぐよう指示され、裸になります。次の部屋で薄手の軍用コートを着用します。ここでは偽の死亡診断書作成のために医師が診察(単なるデータ確認)を行います。次の部屋で彼らは体重と身長を図り、地下室に入る前に写真を撮ります。

移送用のバス“灰色バス”モニュメント

地下室へ降りていくと、左側の部屋に入ります。ここで「これからシャワーを浴びるから」とコートを脱ぐように指示され、隣のシャワー室、つまりガス室に入ります。スタッフがガス室の扉を閉じると、医師が一酸化炭素ガスのバルブを開き、全員が窒息死するまでガスを注入します。

ガス室入口

一度に約50人が殺害されたそうですが、たった12平方メートルしかない空間に50人も入ると、ぎゅうぎゅう詰めだったはずです。裸にされ、ぎゅうぎゅう詰めにされ、不安を感じた方はいなかったのでしょうか。安楽死とされていますが、苦しみながら亡くなられた方はいなかったのでしょうか。

ガス室内部
ガス室内部

一酸化炭素を取り除くために換気を行った後、スタッフの手で死亡確認作業が行われます。全員の死亡が確認されると、遺体は隣の解剖室へ移されます。ここには、当時の手術台が残っていますが、資料として価値がありそうな遺体は、ここで解剖したのでしょうか。

手術台

その後、遺体は火葬施設がある部屋へ運ばれます。火葬施設というと聞こえはいいですが、ゴミを処理するような焼却炉です。

火葬施設(ハダマー記念館パネル展示)

火葬後、棺のような箱に入れて裏山へ運び埋葬します。埋葬といっても、10体ほどまとめて埋めたそうです。殺害は言うまでもなく、火葬、埋葬に至るまで、まるで人間の扱いを受けていないことが分かります。

火葬施設があった場所

おわりに

1941年、7万人もの被害者を出したT4作戦は、ヒトラーの命令によって中止されました。しかし、その後も秘密裏に虐殺が行われ、1945年の終戦までの間に、20万人もの障害者が虐殺されました。実は、T4作戦はナチスの要請ではなく、学者や精神科医の要望で行われたのです。

ハダマー精神科病院で勤務していた人々(ハダマー記念館展示)

医学界で支持された優生思想、敗戦による財政難、個人の尊厳より社会の発展を重視する政治、これらが絡み合って、超えてはならない一線を超えてしまったのではないでしょうか。

アクセス

ハダマー記念館(Gedenkstatte Hadamar)
所在地:Monchberg 8 65589 Hadamar
行き方:リンブルク(ラーン)駅からタクシーで15分
営業時間:火〜木9:00〜16:00、金9:00〜13:00
入場料:無料

以下の資料を参考にしました

泉彪之助(2003)「精神疾患患者・遺伝性疾患患者に対するナチスの「安楽死」作戦とミュンスター司教フォン・ガーレン」日本医史学会『日本医史学雑誌』第49巻第2号
岩井一正(2011)「70年間の沈黙を破って−ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の2010年の謝罪表明」『精神医学雑誌』第113号第8巻
紀愛子(2016)「ナチスによる『安楽死』および強制断種被害者の会の歴史と活動」早稲田大学大学院文学研究科『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第61輯
安部芳久(2018)「障害者の存在する価値についての一考察 ―津久井やまゆり園殺傷事件を契機として―」
月刊「創」編集部編(2018)『開かれたパンドラの箱』創出版
ウータ・ジョージ(2016)『ハダマールへの移送 〜ナチスのハダマールにおける安楽死計画の罪〜』(津田良聖、出雲路英淳訳)
ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)移動展覧会パンフレット(2015)「ナチ時代の患者と障害者たち」
NHK「それはホロコーストのリハーサルだった:T4作戦 障害者虐殺70年目の真実」(2016年1月30日放送)
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