諸葛亮vs司馬懿!最終決戦の地・五丈原を探検

中国の遺跡

はじめに

蜀漢ファンの聖地で諸葛亮終焉の地・五丈原古戦場を探検してきました。今回は、五丈原諸葛亮廟と周辺の遺跡をご紹介します。

諸葛亮と五丈原の戦い

西暦181年生まれの諸葛亮は、27歳の時に「三顧の礼」で劉備に迎え入れられ、劉備の片腕として尽くしました。劉備亡き後は、蜀の全権力を掌握し、内政に外交に軍事にあらゆる方面で辣腕をふるいました。

227年、魏討伐の意思を固めた諸葛亮は、皇帝の劉禅に「出師表」を上奏し、たびたび魏に攻め込みました。諸葛亮の北伐です。228年春、228年冬、229年春、231年2月、234年2月に北伐を行いました。234年2月の最後の北伐が「五丈原の戦い」です。開戦当初は、諸葛亮、司馬懿ともに渭水の南・五丈原の東に陣を構えて対峙していましたが、しばらくすると、諸葛亮は五丈原に陣を移し、司馬懿は渭水の北に陣を移しました。諸葛亮は、司馬懿を誘い出そうと幾度となく挑発を行いましたが、司馬懿は打って出ることはありませんでした。膠着状態のまま3ヶ月が経った8月、諸葛亮は陣没しました。54歳でした。

五丈原周辺地形(OpenStreetMapに加筆)

司馬懿が築いた司馬懿拝将台

五丈原へ向かう前に、渭水の北・司馬懿が築いたといわれる司馬懿拝将台へ。

司馬懿拝将台、別名・三刀嶺遺址には、東西13m、南北11m、高さ10mの版築が残っており、三国時代の瓦片が見つかっています。司馬懿が築いたいう確たる証拠はありませんが、三国時代に瓦葺きの施設があったことは間違いないでしょう。

司馬懿拝将台

三刀嶺と五丈原の間には渭水が流れ、渭水の北には大きな街が広がっています。諸葛亮が奪取を試みるものの、郭淮に阻まれ奪取できなかった「北原」はこの辺りかもしれません。

五丈原の北端に築かれた謎の城壁

渭水を渡り、五丈原へ。五丈原は不思議な形をした台地で、その北端には版築城壁と堀があります。タイトルの通り、いつ、誰が築いたのか分からない謎の遺跡です。地元の方の話では、高速鉄道の線路ができる前はもっと城壁が残っていて、山麓から続く登山道もあったそうです。

五丈原の戦いと関係があるのかないのか不明ですが、ここから司馬懿拝将台がある三刀嶺がよく見えました。

謎の城壁

諸葛亮が陣を構えた豁落城

五丈原北端の城壁から南下し、諸葛亮が陣を構えたといわれる豁落城へ。別名・龍泉原堡塁は、東西82m、南北312mの長方形の城で、高さ1.5mの城壁と堀、城門が残っています。

豁落城北城壁

このように、北と南は高い城壁と深い堀に阻まれて容易に侵入できないように工夫がなされていますが、西と東にはそのような遮蔽物は見当たりません。それもそのはず、西側と東側は断崖絶壁。わざわざ力をいれて遮蔽物を築く必要がなかったのでしょうか。

画像中央長方形の区画が豁落城。はるか先には、うっすらと三刀嶺が見える。

諸葛亮ファンの聖地・五丈原諸葛亮廟

五丈原諸葛亮廟は五丈原武侯祠とも呼ばれ、中国各地にある武侯祠の一つです。ここ五丈原諸葛亮廟の入口前には「臣亮もうす、先帝創業未だ半ばならずして…」で始まる諸葛亮の名文・出師表のオブジェがあります。

山門前に巨大な出師表

それでは、中に入ります。東京・浅草寺雷門には風神・雷神の像が立っていますが、それと同じように、山門には魏延と馬岱の像が立っています。魏延の最期をご存知の方は、複雑な気持ちになるかもしれません。

魏延像(左)と馬岱像(右)

正殿入口には姜維と楊儀の像があり、中に入ると、清代のものといわれる諸葛亮像が安置されています。諸葛亮像の脇には、関興、張苞、廖化、王平の像が立ち並んでいます。この他、蒋琬、費禕、張翼、張嶷、馬忠など、蜀漢を支えた名将たちの像がたくさんあります。また、諸葛亮の妻・黄月英や息子・諸葛瞻の像もあります。諸葛亮ファンの聖地であるだけでなく、蜀漢ファンの聖地といえるかもしれません。

諸葛亮像は清代のものといわれる

諸葛亮廟の中には博物館もあります。博物館といっても小さな展示スペースですが、諸葛亮の北伐の概要をサクッと学ぶのに最適な施設といえるかもしれません。蜀漢の軍事拠点である漢中から諸葛亮が目指した長安の間の地形と街道が分かるジオラマや、諸葛亮が開発したといわれる木牛流馬の想像復元品が展示されています。

この他、南宋の岳飛が書いたとされる出師表碑、諸葛亮の衣冠を埋葬したとされる諸葛亮衣冠塚、諸葛亮が亡くなる時に落ちた星の隕石、諸葛亮の得意技・八卦陣をイメージした迷路などがあります。私は時間の関係で八卦陣で遊ぶことができませんでしたが、五丈原諸葛亮廟を訪れる方はぜひチャレンジしてください。お土産コーナーには、諸葛亮の扇子や出師表のレプリカなど、財布の紐が緩くなりそうなグッズがありますので、記念に購入してみてはいかがでしょうか。

木牛流馬(復元)

珍スポット?魏延城と魏延路

五丈原諸葛亮廟を出て、登山道を少し下ると「魏延路」と書かれた手書きの看板があります。

『三国演義』で、自らの死期を悟った諸葛亮が延命祈願の儀式を行う場面があります。7本のろうそくを立てて祈り、7日間火を絶やさず守ることができたら成就するという儀式なのですが、6日目の夜、魏軍の奇襲を報告するために諸葛亮の陣を訪ねた魏延は、誤って火を消してしまいます。この時、魏延が歩いたのがこの道ということだそうです。

この道を下った先に魏延城があった?

葫蘆谷古戦場

『三国演義』で、諸葛亮が司馬懿と味方であるはずの魏延を焼き殺そうとする戦いがありますが、それがここだそうです。それにしても、『三国演義』で魏延はかわいそうな描かれ方をしています。

古葫蘆谷遺址

おわりに

さて、ここまで読んでいただいた三国志マニアのなかには

「あれは史実ではありませんよ。演義の創作ですよ(苦笑)」

と思われた方もいらっしゃるのではないかと思います。その通りで、諸葛亮の延命祈願の儀式も司馬懿と魏延を焼き殺そうとした葫蘆谷の戦いも史実ではありません。

三国志遺跡のなかには、正史ゆかりの地と演義ゆかりの地が混在しています。史実ではないから遺跡ではない、見る価値がないと考えることもできます。しかし、演義ゆかりの地とされる場所のなかには、数百年前から三国志遺跡として語り継がれてきた場所があり、地名になった場所もあります。遺跡と呼ぶのは適切ではないかもしれませんが、それはそれで見る価値がある考えることもできると思います。

中華民国時代の『岐山県誌』によると、五丈原諸葛亮廟は元代に建立され、明、清と時代ともともに増改築されていきました。ここは三国時代の遺跡ではありませんが、諸葛亮が数百年前から英雄として祀られていたことを物語る貴重な文化財といえるのではないでしょうか。

延命祈願を行った祭壇の諸葛亮像

五丈原へ行くならご当地グルメ・岐山面がおすすめ

五丈原へ行く方の多くは、西安を拠点にすると思います。せっかく五丈原へ行くなら、西安では食べられないご当地グルメ・岐山面をおすすめします。酸味のあるピリ辛スープは、暑い日にぴったり。ビールが好きな方には、ご当地の宝鶏ビールもおすすめです。

岐山面

アクセス

五丈原諸葛亮廟(五丈原武侯祠)
所在地:陝西省宝鶏市岐山県蔡家坡鎮周五路五丈原村
行き方:火車「蔡家坡駅」からバス「岐山312路」乗車。「諸葛亮廟駅」停留所下車すぐ‘
営業時間:08:30〜17:30(最終入場時間16:30)
入場料:30元 

以下の資料を参考にしました

満田剛(2017)「蜀漢・諸葛亮の北伐戦略と隴西・河西回廊の非漢族について―後漢・三国期の羌・「涼州諸國王」」『東洋哲学研究所紀要』33
譚其驤編(1982)『中国歴史地図集』中国地図出版社
国家文物局編(1998)『中国文物地図集・陝西分冊』西安地図出版

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